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京都地方裁判所 昭和42年(わ)269号 判決 1970年10月19日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は、昭和四一年三月二七日和歌山刑務所を出所と同時に、京都市左京区吉田牛の宮町一一番地の一保護更生施設財団法人西本願寺白光荘に入荘していたが、同年一二月一五日頃、京都市下京区七条通堀川東入る大阪屋食堂に住み込み稼働し、同荘入居者の籍を離れたのに、昭和四二年一月一七日頃から再び同荘に戻り非公認のまま、同荘入居者Fの部屋に同居し、右大阪屋食堂の職も断り無為徒食していたところ、同荘補導主任栗木常照夫妻から同荘より早く退去するよう催促され、今後の身の振り方を思案し、思い余つて、右白光荘を焼燬して再び刑務所暮しをするに如かずと決心した挙句、昭和四二年二月二二日午後一時四〇分頃、自己の起居していた同荘少年寮木造瓦葺平家建一棟西側三部屋の中央四畳半の部屋において、同室の出入口付近廊下にあつた紙屑入れ代りの木炭用紙袋に、火をつけた煙草二本と燐寸小箱約一〇個分の軸木を放り込んで右紙袋を同室押入れふすまの内側にもたせかけ、右紙袋から発火させ、押入れ、ふすま、天井等に燃え移らせて出火させ、よつて現に人の住居に使用する右少年寮六〇七、二五平方米の大半を焼燬したものである。

というのである。

第一、よつて按ずるに、被告人は昭和四一年三月二七日京都市左京区吉田牛の宮町一一番地の一所在保護厚生施設財団法人西本願寺白光荘に入荘後、同年五月白光荘補導主任栗木常照の世話により結婚し退荘したのであるが、同年八月に離婚しその後寿司店、ホテル、食堂等に住込で勤務していたところ、昭和四二年一月一五日それまで勤務していた大阪屋食堂を飛び出し(同年二月初旬頃正式に退職)、翌一六日頃以降再び白光荘少年寮西側三部屋のうち中央の部屋に非公認のまま入り込んでF(現在M姓、以下単にFと称する)と同居していたものであること、同年二月二二日午後一時四〇分頃、被告人及びFが同居していた部屋の北東にある押入れ下段から出火し、公訴事実記載の白光荘少年寮木造瓦葺平家建一棟が半焼してしまつたこと、白光荘補導主任栗木常照の妻きみよが出火直後本件火災を発見して京都市左京消防署に電話通報し、同消防署は同日午後一時四六分これを受理して直ちに消火に努めた結果同日午後一時五四分鎮火するに至つたことは、当裁判所における証拠調べの結果によつてそれぞれ明かである。しかして、本件証拠を仔細に検討してみても、出火の原因が漏電短絡、過熱等の電気関係による自然発火であるとか、或いは火鉢、炬燵等の火気の不始末によるものであると疑わしめるに足りる特段の事跡は認められず、むしろ、鎮火後の押入れ内の状況、殊に、それまで廊下に置いてあつたと認められる切炭の空袋や、居室南東隅の机の上乃至は居室畳の上に置いてあつたと認められる一一個のマッチ箱等が出火地点と目される押入れ下段から鎮火後発見されていることなどの事実に徴すれば、本件火災は、一応、何人かの作為に基づくものであると疑わせるものであるとしなければならない。

第二、被告人の放火の可能性及び蓋然性の有無について

よつて、本件火災が、被告人の犯行によるものと認められるかどうかを判断する。

一、この点に関する重要な証拠としては、被告人の捜査段階における自白調書と第一回公判期日における自白がある。しかしながら、被告人は、第五回公判期日において右の自白を翻し、本件火災は自己の犯行でないと否認するに至り、特に第七回及び第一二回公判期日においては同居人であつたFが本件放火の正犯であり自己は身替り犯人にすぎない旨を主張するに至つているので、被告人の右自白調書及び自白が果して信憑性を有し真実を伝えるもので被告人の本件犯行を認定する資料とすることができるかどうかについては慎重な検討を要するところである。ここに自白調書とは、司法警察員作成の実況見分調書中被告人の供述部分(検甲第三号―立証趣旨の拘束性の問題は、この場合しばらく措くことにする)、司法警察職員及び検察官により昭和四二年二月二二日から同年三月一六日に至る間に作成された被告人の供述調書七通(検甲第三九号乃至第四五号)、及び司法警察員、検察官作成に係る被告人の各弁解録取書(検甲第四七号、及び第四八号)、勾留裁判官に対する被告人の供述調書(検甲第四九号)をいうものであるところ、その自白調書の内容は、逐次仔細に検討すると、相互に矛盾し、転転と変遷を示して極めて非合理的であり、幾多の疑問点が存すると認められ、その信憑性については深甚な疑いを抱かざるを得ないのであるが、以下右自白調書及び自白を中心としながら、他の証拠調の結果とも比較検討しつつ、本件火災が被告人の犯行と認定されうるかどうかにつき、(一)、被告人に動機があつたか、(二)、放火の方法と媒介物、(三)、被告人の事後の行動について以下項を分つて考察する。

(一)  動機の有無について

1 被告人は、自白調書において動機として次のように供述している。即ち、本件によつて逮捕された直後の司法巡査に対する昭和四二年二月二二日付供述調書によれば、被告人は、白光荘補導主任栗木常照夫妻が収容者に対し依怙贔屓をするので腹が立ち仕返のために放火したのであるとし(検甲第三九号)、次いで、司法警察員に対する同年三月三日付供述調書によれば、栗木夫妻が収容者に対し依枯贔屓をするので反感を抱き、火災前日の二月二一日の晩も栗木きみよが寮生の松村マツ子と自己の悪口を言つているのを立聞きして立腹の上放火の決意をしたのであるとし(検甲第四〇号)、更に、司法警察員に対する同年二月二四日付供述調書によれば栗木常照が寮生に対し依怙贔屓をするので何かしでかして困らせてやろうと考え、栗木の役宅を燃やしてやろうと思つて昭和四一年一一月頃からその機会を窺つていたところ、火災当日に至り、自己の部屋に放火して白光荘を燃やしてしまえば気がはればれすると思い放火の決心をしたのであるとし(検甲第四一号)、また、検察官に対する同年三月一五日付供述調書によれば、原田静枝からの借金や、Fが高利貸から借りている金銭問題について解決方法を思策していた上、栗木常照から早く退去するよう申し渡されているのに白光荘以外落ち着く先もないし、これまで相談相手であつた山本主幹もいないので、どうしたものか思いあぐねた末、白光荘に居るのが嫌になり荘に火を放つて刑務所に入り現在の如き状態から抜けだそうと考え、放火を決意したのであるとし(検甲第四三号)、最終的には、検察官に対する同年三月一五日付供述調書において、本件火災当日は生理中で気がくしやくしやしていたのに加えて、この上Fと一緒に居ては同人の借金問題に巻きこまれ返済義務を負わされかねないし、それにしても就職先はないし、白光荘内はごたごたして栗木等補導員からは退去を迫られており、これから先どうすべきか考え始めたところ、につちもさつちもいかんので、やけくそになつて、火を放てば逮捕されて刑務所に入れるので現在のごたごたしたことから解放されると突嗟に考え、火を放つたと述べている(検甲第四四号)。

しかして、<証拠>を総合すると、被告人はFと同居後は同人に同調して補導主任の栗木に対し反抗的態度を示していたこと、原田静枝や高利貸から借財をなしていたこと、Fも高利貸から借財をし、その金で被告人も世話を受けたこともあること、本件火災一ケ月前から右借財の取立が厳しくなり、火災前日には、Fの借財問題で被告人が参考人として交番所で取調を受けたこと、失職中で収入の見込みがなく自己及びFの借財を返済するにも金銭に窮していたこと、他方被告人は保護期間も切れ非公認で白光荘に舞い戻つたため、補導員三島や栗木等から退寮を再々促されていたこと等の事情を窺い知るに難くないのであつて、これらの事実に照らして考えると、被告人の動機に関する供述は架空の事実というを得ないし、また放火の動機として全く理解し得ないというものではない。

2 しかしながら、動機は一つの間接事実ではあつても、それから直ちに被告人の犯罪性を帰納することはできないこと勿論であるのみならず、その供述内容を更に検討すれば、なお疑問も存しているのである。即ち、

その一は、被告人の動機に関する供述が取調べの進展につれて微妙に変化していることを看取できることである。被告人は、当初①栗木常照夫妻に対する反感から仕返のため放火したといつていたのが、その後の取調べにおいては、②借金問題に良い解決方法が見つからぬことと、③退寮を迫られているのにその行先がないことから、結局④火を放つて刑務所に入り現在の複雑な金銭的、人的関係から抜け出そうと考えたからであると変化して栗木に対する反感は後退し最終的には、右②③④の事実を主要な原因としたうえ、生理中で気分がすぐれなかつたという事情をもつけ加えている。このような供述の変遷は、取調べの進展に伴つて諸々の事情が次第に判明してくるという、一般の捜査の経過とはいささかその質を異にするものがあるように考えられる。変遷の理由について被告人は、検察官に対する昭和四二年三月一六日付供述調書において、当初①のことだけしか言わなかつたのは借金のこと等についてはFのことを話さなければならず、色々の人に迷惑をかけるよりも栗木が憎かつたことは間違いがないから栗木のことだけを話した(検甲第四五号)と供述しているがこのことは後にも触れるように、本件における被告人とFとの微妙な関係を暗示しているものの如くであつて、慎重に判断せらるべき事跡としなければならない。その二は、前掲証拠によれば、被告人の動機とする①栗木常照夫妻に対する反感と③退寮の問題は、その主たる原因が、実は、栗木常照夫妻とF間の感情の軋轢に由来するものであつて、この点につきFが直接的であるのに対し、被告人は従前よりFと言動を共にしてきた関係からする、従的付随的な立場にあつたにすぎないと見られることである。しかも、被告人は以前真面目に比較的長期間住込店員として勤務していたこともあるので、その気になれば元の勤務先の大阪屋食堂や「のんき」飲食店等に容易に住込みで就職し得たと認められるのであるから、退寮を迫られても行先が全く無いというが如き差し迫つた事情下にあつたとはにわかに認め難いし、火災前日の二月二一日の晩に栗木きみよと寮生松村マツ子が被告人の悪口を言つているのを立聞きして立腹したとする点も、被告人が検察官に対する昭和四二年三月一五日付供述調書に述べている如く、当夜すぐ松村の居室に怒鳴り込んだというのであるから(検甲第四三号)、その立腹もある程度寛懈せられているのではないかと考えられる事跡も存する。その三は、③借金問題に関してであるが成る程被告人は自からも多少の借財を負うていたものの、大部分はFの借財であつて、これについては被告人が名義上の借受人となるなど相当深入りしていた事情から、そのため火災の前日、近くの東一条交番所に呼び出された経緯があるけれども、それはFの借財問題につき参考人として事情を聴取された程度のものと認められるに過ぎないことであるかくして、被告人の動機として述べるところは、一見して全く理解し得ないというのではないが、なお右の如き疑問も存している。

(二)  放火の方法と媒介物について

1 被告人が自白調書で放火の手段方法として供述しているもののうち、一貫している点は、自室の西側廊下に置いてあつた切炭用の紙袋に火の付いた煙草ハイライト二本と喫茶店等の広告用マッチを入れ、これを自室北東側の押入れ下段に置いたうえ、その付近に雑誌、小説本等の媒介物も投げ入れて室外に出た、という極めて概括的な事実に止まつている。しかして、<証拠>によると、被告人等の居室内の焼燬の状況から、出火点は同室押入れ内下段やや東寄りの地点と推定され被告人の供述とおおむね符合するし、被告人が放火の手段に使用したとする切炭用の紙袋、喫茶店等の広告用マッチ、及び雑誌、小説本等が、出火以前には、それぞれ、被告人の居室西側廊下、同室内のFの机上、又はその下、或いは畳の上等に存在していたもので、被告人が容易に使用し得る状態にあつたこと、並びに被告人が日頃煙草ハイライトを喫煙していたことは、Fの司法警察員に対する供述調書(検甲第七号)、同人の当公判廷における供述によつて認められるほか、鎮火後右の紙袋、マッチ、雑誌、小説本等がさきにあつた場所と違つて同室押入れ内下段から発見されたことは、司法警察員作成の実況見分調書及び押収してある証拠物(昭和四三年押第一四三号符号一乃至一一号)によつて明らかである。

しかしながら、点火の手段、方法、順序及び媒介物の質、量等具体的な事項に及ぶと、被告人の供述は調書毎に変転して帰一するところがない。いま煩を厭わずこれを摘記すれば次の如くである。即ち、被告人は、先ず、①司法巡査に対する昭和四二年二月二二日付供述調書においては、塵屑の入つた木炭用紙袋を押入れを開けて中に入れ、煙草ハイライト二本に火をつけたまま紙袋に放り込み、その上喫茶店等のマッチ四、五箱の軸木を紙袋の中にばらばらにして放り込んで押入れを開いたままにして部屋を出たと供述し(検甲第三九号)、次いで、②司法警察員作成の実況見分調書には、被告人の供述として、部屋の外の廊下に置いていた紙屑、ガス火起し器等が入つている切炭の包紙の空袋を押入れ内に入れ、右部屋南東隅に置いてあつたF所有の小説、雑誌、カタログ、手紙等を押入れ内に投げ入れ、更に机上や畳上に置いてあつた喫茶店の広告用マッチ一〇個位の軸木の入つたものやなかつたものを右空袋内に入れ、火のついた煙草ハイライトの吸いがらを二回空袋内に投げ込んだ旨の記載があり(二月二三日作成、検甲第三号)、更に③司法警察員に対する同月二四日付供述調書には、紙屑及び火起し器が入つていた切炭の紙袋を押入れ内に入れ、本、雑誌三冊位、手紙等をも押入れ内に放り込み、喫茶店広告用マッチ約一〇個を紙袋の中に入れ、その内のマッチ一個で煙草ハイライト一本に火をつけ八分目吸い、それを紙袋の中に投げ入れ、又新しいハイライト一本に火をつけて七分目位吸い、その吸いがらを紙袋内に投げ入れ、マッチの軸木は新しい薬のついたままのを一本だけ紙袋に入れた。ハイライトの空袋も右紙袋の中に投げ入れた。そして押入れを閉めて部屋を出たとあり(検甲第四一号)、最終的には、④検察官に対する同年三月一五日付供述調書によれば、炭はなく火起し器と古新聞紙の暦等が沢山入つていた炭の空袋を押入れの中央下襖の内側にもたせて置き、先ず煙草ハイライト二本に火をつけてどちらも二口か三口ずつ吸つて空袋内に放り込み、その上から広告用マッチ一〇箱位の中からマッチの軸木全部取り出して袋の中にばら撒き、その上に空箱も捨てて襖を閉めて部屋を出たというのである(検甲第四三号)。これをその個々につき比較対照してみると、

(イ) まず、切炭の紙袋の内容物について、被告人は当初、塵屑が入つていた(検甲第三九号)というのが、その後、紙屑と火起し器が入つていたとし(検甲第四一号)、更には、古新聞紙と火起し器とが入つていた(検甲第四三号)と供述を変更している。

(ロ) 次に、マッチと煙草ハイライトとを紙袋に入れたというその順序であるが、前記①の調書ではハイライトの方がマッチより先になつているのに前記②、③の調書では、それが逆転してマッチが先になり、前記④の調書では、又逆に元に戻つてハイライトが先になつている。

(ハ) また、媒介物として押入れ内に入れたという小説本類についても、前記①の調書では、これらのものを入れたことには触れていないのに、前記②の調書では、小説本雑誌、カタログ、手紙類を入れたといい、前記③の調書では、本、雑誌三冊位手紙等を入れたとなり、前記④の調書では、これら媒介物については供述していない。

(ニ) 更に、紙袋の置き方については、わずかに前記④の調書で、これを押入れ中央下の襖の内側にもたせかけたと供述するのみであつて、他の調書ではこの点に触れていない。

(ホ) 殊に、媒介物として紙袋に入れたというマッチの数及び形状についての供述は極めて区々であつて前記①の調書では、マッチ四、五箱の軸木をばらばらにして紙袋に放り込んだとしているのに対し、前記②の調書では、マッチ一〇個位の軸木の入つたものやなかつたものを紙袋に入れたとし、前記③の調書では、マッチ一〇個位を紙袋に入れ新しいマッチの軸木は一本入れたとし、更に、前記④の調書では、マッチ一〇箱位の中からマッチの軸木を全部出して、袋の中にばら撒きその上にマッチの空箱も捨てたと供述しているのである。

2 かように、放火の方法と媒介物という最も重要な点について、被告人の供述は調書毎に変転して帰一するところがなく、果してそのいずれの方法をもつて真実なりとするのか、自白調書自体からはこれを確定することが困難であつて、それ自体自白調書の信憑性を疑わしめるものである。

3 のみならず、切炭用の紙袋の内容物如何は、放火の媒介物の一つとして、極めて重視しなければならない事項であり、被告人がそれを熟知している立場にあつたと認められるのに、被告人は、前述の如く或いは単に塵屑が入つていたといい、或いは紙屑と火起し器が入つていたといい、更には古新聞と火起し器とが入つていたというに止まつているのであつて、その表現の差異は看過できるとしても、その内容物の質と量並びにその形状に関する供述が極めて瞹昧である。

紙袋の内容物をこれまた熟知していると認められるFの司法警察員に対する供述調書(検甲第二七号)及び同人の当公判廷における供述によれば、紙袋には火起し器と、使い残りの豆炭二、三個を新聞紙に包んで入れていたが、その他の新聞紙の屑は入れていなかつたというのであつて、この供述を併せ考えてみても、果して右紙袋にどの程度の量の新聞紙がどのような状態で存在していたのか、にわかに断定することは困難である。

更に、紙袋の置き方については、わずかに、前記④の調書において、押入れ中央下の襖の内側にもたせかけたと供述するのみであつて、被告人の自白調書からはそれ以上の事実を知ることができない。しかるに、司法警察員作成の実況見分調書によれば火災直後切炭用紙袋の焼残の一部が押入れ下段の中央よりかなり東寄りの地点から発見されていること(検甲第三号添付の写真第三六、第三九及び第四四)が明かであり、また発火点も前述のとおり押入れ下段中央よりやや東寄りの地点であると推定される(第一〇回公判調書中証人中田武男の供述部分)のであるから、これを彼此勘案すると、被告人が、紙袋を押入れ下段中央の襖の内側にもたせかけた、とすることにも疑問があるのみならず、紙袋はこれを立てかけたのか横に寝かせたのかも明らかではない。

4 しかも、切炭用の紙袋に入れたというマッチの数及び形状についての被告人の供述は、証拠物として提出されたマッチのそれとは明白に相違している。即ち、火災直後出火地点付近から喫茶店等の広告用マッチ箱一一箱が発見され、司法警察員がこれを領置したうえ、証拠物として当裁判所に提出されているのであるが(昭和四三年押第一四三号の符号一〇)、このマッチ箱一一箱を仔細に検するに、そのうち五箱には、マッチの軸木二四本、二二本、一四本、六本、三本がそれぞれ入つており、他の六箱は空箱の状態である。従つて、被告人の自白調書中、前記①の調書及び④の調書にいう、マッチの軸木を全部ばらばらにして紙袋に入れたとする供述は、右の客観的事実と明白に矛盾するものである。

5 更に、司法警察員作成の実況見分調書と京都市左京消防署の火災原因調査報告書写によれば、火災直後発見された切炭用の紙袋の焼残りと右マッチ箱とはかなりかけ離れた地点から発見せられているのであつて(検甲第三号添付の写真第四二、第四四、及び第四七、弁甲第一号添付の写真第一八)、その状態は、紙袋内にあつたマッチ箱が紙袋の炎上により、又は消火活動の結果によつて紙袋の外にこぼれ落ちたと認められる程度を超えているものと考えられるのであるから、マッチ箱は、或いは紙袋の外にあつたのではないかとの疑いが極めて強い(証人島田耕二及び同小島保雄の当公判廷における各供述)。従つて、紙袋の中にマッチ箱を入れたとする被告人の前記①乃至④の各供述はこの点においても信憑性に疑問があるとしなければならない。

6 次に、被告人の供述する放火の手段、方法と発火の可能性及び発火時間との相互関係について検討する。

自白調書によれば、被告人は切炭用の紙袋の中に吸いさしの煙草ハイライト二本を投入して火を放つたというのであるから、紙袋の内容物の質、量及び形状、並びにその際同時に投入したとするマッチの数量、形状如何が、発火の可能性及び発火時間を確定するうえにおいて不可欠の条件と考えられるのに、本件においては、紙袋の内容物を十分に具体的に認定することが困難であること前記3において述べたとおりであり、また、マッチについても、どの程度の量のマッチをどのような状態にして使用したのか(軸木を取り出してバラバラにしたのか、軸木の入つたマッチ箱のまま使用したのか)、マッチは果してこれを紙袋の中に投入したのかどうか、被告人のこの点の供述は客観的証拠にも反しほとんど信憑性を認め得ないものであること前記4、5において述べたとおりである。従つて、かかる不確定な条件を前提に発火の可能性と発火時間を吟味することはほとんど徒労に近いが、敢えて述べると、次の如くである。即ち、被告人の前記①及び③の調書によれば被告人は火災当日午後一時三〇分頃寝床から起き上り、前記①、③の方法で火を放ち、五分位後には部屋を出て事務所に立寄り、補導員三島と五分位世間話をして白光荘正面から外出したというのである。

一方、<証拠>を総合すると、被告人が本件火災当日午後一時三〇分乃至四〇分頃の間に白光荘から外出したこと、及びその後二分乃至五分位後に栗木きみよが火災を発見し、事務所にいた三島及び高塚に連絡しに来たことが、また栗木きみよの司法巡査に対する供述調書(検甲第一六号)によると、午後一時三〇分過ぎ、役宅から、被告人の部屋の中に火柱が立つているのを発見し、直ちに事務所に行つて消防署へ電話連絡したことが、更に、京都市左京消防署の火災原因調査報告書写によると、左京消防署は午後一時四六分に火災報知専用電話を受理していることが、それぞれ認められる。そうとすれば、被告人が供述する放火の着手時刻から被告人の部屋の中で火柱が立つ程度の火勢に達するまでの時間は僅かに一〇分乃至一〇数分間であつたと考えられる。

ところで、鑑定人細井三郎作成の鑑定書、及び同人の当公判廷における供述によると、

a まず、切炭用の紙袋に新聞紙に包んだ豆炭二、三個、火起し器、若干の紙屑と、軸木の在中している喫茶店等の広告用マッチ一一個、及び新しいマッチの軸木一本を入れたものに吸いさしの煙草ハイライト二本を入れた場合、これは、被告人の前記③の自白調書にいう放火方法にほぼ相当するものであるが、この場合には発火困難であり(右鑑定書鑑定主文(一)、実験其の一)数多くの実験―数十回―に一回程度は紙屑乃至新聞紙(豆炭を包んだもの)がくん焼し、くん焼が拡大することはあるが、マッチに着火しない。ただ、過去の同様の実験例(但し、マッチ箱のない場合)で、くん焼から拡大着火災上したことがあるが、この時の所要時間は一時間三〇分というのである(右鑑定書実験其の二)。してみれば、被告人の自白した前記③の調書にいう放火方法では発火の可能性を否定し去ることはできないとしても、それは極めて薄いものであると認められる。しかも、仮りに発火の可能性があるとしても、その所要時間が、右実験例に明かな如く、点火時から一時間三〇分であつたというのであるから、被告人の自白調書にいう点火時刻と比較し疑問が生ずる。なお、被告人の前記②の自白調書にいう放火方法は③の調書と大差がないと考えられるので、重ねて吟味する要をみない。

b 次に、マッチ四、五箱の軸木全部をばらばらにして紙袋に放り込み、その他の内容物を前記aと同様にした場合、これは被告人の前記①の自白調書にいう放火方法にほぼ相当するものであるが、この場合には発火するばあいと発火困難なばあいとがあり、それも発火しない方が多いというのである(右鑑定書実験其の三の(2)、(3)、証人細井三郎の当公判廷における供述)。従つて、この場合には、一応、発火の可能性があるといい得るとしても、到底その蓋然性があるとすることまでは困難である。ただ、一旦発火すると、本件火災発見時の火勢に達するまでの所要時間は約一〇分と推定され(右鑑定書主文(三))、被告人自白の放火時刻から火災発見時の火勢に達するまでの時間約一〇分乃至一〇数分とほぼ一致するのであるが、そもそも、前記①の自白による放火方法は、客観的事実と明白に矛盾していること前記4に詳述したとおりであるから、単に、①の調書にいう放火方法をもつてすれば発火の可能性があるとの一事を捉えて、被告人の有罪認定の資料に供することは到底できない次第である。なお、被告人の前記④の自白調書にいう放火方法は①の調書とほぼ軌を一にするものであるから、これまた重ねて吟味する要をみない。

7 以上要するに、被告人の前記①乃至④の調書で自白する放火の方法は、変転して帰一するところがないばかりか、その媒介物たる切炭用の紙袋の内容物及びマッチの質、量、形状が或いはこれを確定することが出来ず、或いは客観的事実と明白に矛盾していて、到底信を置くことのできないものである。しかも、被告人が精神年令九才八ケ月、知能指数六四で、人に迎合しやすい性格であること(医師山田享作成の鑑定書及び同人の当公判廷における供述)をも考えると、それはほとんど信憑性のないものと断ぜざるを得ない。

a なお、被告人の自白としては、司法警察員及び検察官作成の各弁解録取書(検甲第四七号及び第四八号)、勾留裁判官に対する供述調書(検甲第四九号)、並びに、第一回公判期日における公判廷の自白も存するが、これ等はいずれも前記①乃至④の調書の内容以上に出ないものであるから、改めて検討する必要は認められない。

(三)  被告人の事後の行動について

この点に関する被告人の自白調書における供述の要旨は、被告人は火を放つた後白光荘事務所に立ち寄り補導員三島郁と五分間位話をし、それから外出して京都市中京区河原町三条、及び四条辺りをぶらぶらして時間を過ごしたうえ、午後八時頃白光荘付近まで帰つて来たというのである(検甲第三九号、第四一号、第四三号)。しかして、三島郁の検察官に対する供述調書(検甲第一九号)及び同人に対する当裁判所の尋問調書によると、被告人が火災当日外出前に事務所に立寄つて話をしたこと、その際の被告人の態度は別段変つたところもなく普通であつたことが認められ、右の点の被告人の供述と符合し、その間、特に異常なそぶりを看取することは困難である。なお、被告人は公判廷において、当日外出前洗濯場に行つて、着替えた下着類を洗濯したと供述しているが(被告人の第五回、第七回、第一二回、第二三回公判期日における各供述)、若し仮に洗濯したというのであれば、それは却つて放火犯人の事後の行動としては如何にも不自然であるといわなければならない。要するに、本件証拠によつて認められる被告人の事後の行動からは、被告人の犯行を裏付け強化し、或いは推断するに足りる特段の事跡はこれを窺い知ることが出来ない。

二、そこで、いま、しばらく被告人の自白調書及び自白を離れて、更に、検討を加える。

自白以外の各証拠を総合すると、さきにも言及しているごとく、被告人に不利益と認められる次のような情況事実がある。即ち、

(1)  昭和四二年二月二二日午後一時四〇分頃、白光荘少年寮西側三部屋のうち中央の部屋から出火し、白光荘少年寮木造瓦葺平家建一棟を半焼したこと、

(2)  その発火地点は、右出火した部屋内北東にある押入れ下段であると認められること。

(3)  鎮火後右押入れ下段から本件火災の媒介物と考えられる切炭用紙袋の焼残り、マッチ一一箱、本、封筒、葉書、パンフレット、手紙、雑誌、ノート等(昭和四三年押第一四三号符号一乃至一一)が発見されたこと。

(4)  右紙袋は、出火以前には右部屋の西側廊下に置かれ、マッチ、本、雑誌等は、右部屋のFの机上或いはその下に置かれていたものでいずれも普段押入れ内に置かれていたものでないこと。

(5)  右部屋は、当時、被告人及びFの居室であつたこと。

(6)  従つて被告人は右の媒介物を十分利用しうる地位にあつたこと。

(7)  本件出火直前被告人が右部屋に居たと認められること。

このような事実が認められる。従つて、右の如き情況事実からすれば、本件火災は被告人の犯行によるものであると推認することも、あながち不自然なこととはいい得ない。

しかしながら、

(一) 仮りに被告人が放火したとするのであるならば、被告人は放火の方法と媒介物とについて具体的且つ詳細に供述し得た筈であり、しかもその自白と他の証拠から認められる客観的事実とが一致すべきはずであるのに、それが具体性を欠き、或いは矛盾、くい違いが存し、客観的証拠にも反していること前記一において詳述したとおりであるから、このことは却つて被告人が本件に関与していないのではないかという疑問を生ぜしめるものである。

(二) のみならず、被告人の自白する放火の手段、方法と媒介物のうち、その詳細をすべて捨て、単に「紙袋の中に煙草ハイライトの吸いさしを二本投入して押入れの中に置いた」と抽象することが仮に可能であるとしてみても、かような抽象された方法によつては発火の可能性を認めることすら困難であるばかりか、その可能性があるとしても、その出火時間は一時間三〇分から一〇数分間までの間ということになること鑑定人細井三郎作成の鑑定書と同人の当公判廷における供述によつて明らかであつて、このことはさきにも詳論したとおりである。従つて、かくすれば、放火の可能性の時間帯が著しく拡大され、その結果放火の可能性は被告人以外の者にも波及することになるのであつて、その一々につき更に慎重な検討を加える必要が生ずることとなり、かくして、被告人に前述の如き諸々の不利益な状況事実が存するとはいえ、本件においてはこのことからたやすく被告人の犯行を推認することは困難である。

(三) 更に、被告人は当公判廷において次の如く述べている。即ち、第七回公判期日において、

「起き出してすぐ廊下に出、炭が入れてあつた袋を部屋の中に持つて帰つたのではないか。

それはFが出て行く前に放り込んだのです。

どこからか。

ミシンのある廊下からボーンと放り込みました。

紙袋に手をかけたことはない、と言うのか。

手をかけていません。

警察では『起き出して廊下から紙袋を持つて来た。その中には紙屑とか、炭が二、三本入つていた云々。』と言つているがどうか。

Fが面会に来て、そう言えと言うたのでそう言つのです。

その時Fはどう言つたのか。

『自分が紙屑を入れたことやら引受けてちやんとしてあんた罪をかぶつて行つてくれるか。『と言いました。』と供述し、

更に、第一二回公判期日において、「被告人が火をつけたと警察で言えば被告人が損をするのではないか。

でもあの子は『責任持つて面会や差入れするし、引取つてちやんとするから。』と言うので、言うたのです。

Fが被告人に『かたきを取つてくれ。』というのはいつごろから言つていたのか。

大部前からです。

被告人もかたきを取ろうと思つていたのか。

Fさんが、『ここを焼いてしまつたらなくなるし、わしがやつても名前は出さん、あんたが罪をかぶつてくれ。』と言うし、初めはそんなにも思つていませんでしたが、そう思うようになりました。

どうして警察では自分でやつたと言つたのか。

もしも何かあつたときは頼むとFさんから頼まれていたし、私としたら前にもやつたことがあるし、してなくてもお前がやつたのではないかと云われたからです。

捕つた日の翌日、即ち二三日にはどんな話をしたのか。

Fさんは、『罪はあれだから、後は絶対に引受けてやるから今言つたまま言葉を変えん様に、うちの名前を出さんとこのままでいつてくれ、そして和歌山(刑務所の意味)だと面会に行けへんし笠松(刑務所の意味)に行つてくれ。』と言いました。」と供述している。

右の如く被告人は当公判廷において、本件火災はFが放火したものであつて、自己のあづかり知らぬところである旨極力弁疎しているのであつて、しかる以上、被告人に前記(1)乃至(7)の如き情況事実が認められるとしても、本件においては、このことから直ちに被告人の犯行を推認することは、極めて危険であるといわなければならない。

第三、以上要するに、被告人の自白調書及び自白は極めて信憑性に乏しく且つ他の客観的証拠とも矛盾しているし、その余の証拠から認められる諸々の情況事実からしても、被告人の本件放火の犯行を推認することは極めて危険である。

被告人が本件放火の嫌疑を受けたことは全く不自然なことではないとしても、本件が被告人の犯行であると断定するにつき、合理的な疑いの余地のない程度まで証明されたものと言うことは到底できない次第である。従つて、結局、本件公訴事実は、犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第三三六条後段に従い、被告人に対し無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。(高橋太郎 浦原範明 見満正治)

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